後顧録

青年の雑記帳

慕う人から離れて

10代のころ、心底から慕う人がいた。

自分がどんなに弱く、だらしない所を見せても、優しく受け止めてくれた。

その人といるだけで活力が湧いた。

 

気がつくと、その人の言葉が自分の行動を全て規定するようになった。

「お前がB大学に入ってくれたらなー」と助言されれば、B大学を目指した。

「お前これどう思う?」と言われれば、自分の用事を後回しにして、その人の為に全ての時間、思考を割いた。

それは慕情ではなく依存だと気付かなかった。

 

ある時から、その人は自分と距離を置き始めた。

それに気付いたとき、絶望の淵に立った。あれだけ信じて、理解してくれた人が、振り向いてくれなくなった。

しつこく、すがるほど、邪険にされた。自分が価値のない存在になった気がした。

 

信仰や愛情は人に温もりを与えてくれるが、それが全てではない。

相手がどんなに大事な存在、特別な人であっても、その人は自分の代わりを生きることはできない。

自分は、自分しかいない。

 

生きていくのに承認欲求は必要だけれども、承認欲求によらない自己愛を得たとき、自分で自分を理解し、自分の価値を規定できる。もっと自由になれる。

それが本当に自分を生きることじゃないかな。

もし自分と同じ、強い承認欲求で悩む人がいたら、考えてほしい。

唯一無二の価値尺度などというものはない。

メディアの記事が両論併記をするように、大事な点検には複数の作業員があたるように、2つ、3つと違う価値観に触れていくなかで、自分で自分を縛ることから逃れられるかも知れない。